洗濯物は干して終わりじゃない!せめて取り込んでくれないと洗った意味がない
洗濯が終わってベランダや室内に干された洗濯物。
天気の良い日にはしっかり乾き、夜には取り込むだけ…のはずなのに。
気づけば、干されたままの洗濯物が夜風に揺れている。
「……で、誰が取り込むの?」
「干した人が最後までやらないの?」
そんな気持ち、ありませんか?
洗濯物という家事は、本来段階があります。
- ① 洗う
- ② 干す
- ③ 取り込む
- ④ 畳む
- ⑤ 収納する
しかし、なぜか②で満足して終了する人が存在します。
そこで終わられてしまうと、その後の工程は気づいた人が担当することに。
洗濯物問題は家事分担だけでなく、「やってる気になってる人」VS「実際にやっている人」という構図が浮き彫りになります。
なぜ「干すだけ」で終わるのか?その心理背景
干すだけで満足してしまう人の心理には、次のような傾向があります。
- 「干す=クライマックス説」
干す作業が一番手間だと思っている。 - 完了ラインの認識が違う
「干したら終わり」と思っている。 - 自分の中では“手伝った感”がある
ほんの少し関わるだけで家事全体をやったと思い込むタイプ。 - “次の工程が存在する”という認識が薄い
見ている世界が「干すとき」で止まっている。
つまり、悪気があるわけではなく、完了定義が違うだけなのです。
しかし、それで負担を背負うのはいつも同じ人。
その状況が積み重なることで、イライラに変わっていきます。
洗濯物が取り込まれず放置されると生まれるモヤモヤ
干しっぱなしの洗濯物はただの景色ではありません。
そこに生まれる感情は…👇
- 「結局いつも私じゃん…」
- 「干すだけで家事やった気にならないで」
- 「時間あるのに“気づかないふり”してない?」
- 「ありがとうと思う気持ちとモヤモヤが同時に来る」
特に厄介なのは、相手が「手伝ってあげた側の顔」をすること。
こちらが何も言わないと、「俺/私、洗濯したよね?」とドヤ顔で言われるパターンも。
いや待ってください。干しただけです。
残りの工程、丸ごと残っています。
職場にもいる?似た構造の“途中までやった人”問題
実はこの問題、家庭だけではなく職場にも存在します。
- タスクを途中までしかやらず、最後の確認を押し付ける人
- “途中で投げるけどやった気になっている人”
- 仕組みや成果より「協力した事実」だけ大切な人
洗濯問題は家事だけでなく、「責任や作業の最後を持てるか」の性格面が表れる行動なのです。
ストレスを減らす現実的な対処法
①家事の完了ラインを言語化する
例:
✔「洗濯は畳むまでがセット」
✔「干した人が取り込みまで担当」など
②役割分担ではなく「工程分担」にする
例:
👉あなた=干す+取り込む
👉私=畳む+収納
③仕組み化(ハンガー収納や無折りたたみ仕様)
畳まない収納(吊るし収納・分類ボックス)にすれば負担が半分以下に。
④感情ではなく事実で伝える
✖「なんで干すだけで終わるの?!」
◎「洗濯が乾いたら取り込んでほしい。残ると片付けが遅れるから。」
まとめ:干すだけで終わる問題は“家事の認識差”から生まれる
干すだけで終わらせる人は、「家事は手間をかけた量=やった量」と思いがちです。
しかし家事とは、手を出した量ではなく、生活が整うことが完了地点。
家事はチーム作業。負担が片方に集中する形では本当の協力とは言えません。
言語化・ルール化・仕組み化で、お互いが気持ちよく暮らせる形へ。
今日も洗濯物、お疲れさまです。

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